略史・沿革
済生会の略史
明治44年2月11日、明治天皇は、時の総理大臣、桂太郎を召されて「医療を受けることができないで困っている人たちに施薬救療の途を講ずるように」というご趣旨の「済生勅語」とその基金として御手元金150万円を下賜された。
これをもとに伏見宮貞愛親王を総裁とし、桂総理が会長となって恩賜財団済生会を創立されました。以来、創立の精神を引き継ぎ、医療サービスと福祉の増進に必要な諸事業を全国的規模で行っています。
戦後は、昭和26年に公的医療機関の指定を受け、同27年に社会福祉法人の許可を受け、現在、社会福祉法人恩賜財団済生会となっています。
総 裁 秋篠宮親王殿下
会 長 有馬 朗人
理事長 炭谷 茂
これをもとに伏見宮貞愛親王を総裁とし、桂総理が会長となって恩賜財団済生会を創立されました。以来、創立の精神を引き継ぎ、医療サービスと福祉の増進に必要な諸事業を全国的規模で行っています。
戦後は、昭和26年に公的医療機関の指定を受け、同27年に社会福祉法人の許可を受け、現在、社会福祉法人恩賜財団済生会となっています。
総 裁 秋篠宮親王殿下
会 長 有馬 朗人
理事長 炭谷 茂
沿革
大正13年 3月 | 下関市長崎町に恩賜財団済生会委嘱による下関診療所開設 |
昭和14年 4月 | 下関市上田中町に病床数50床の下関病院開設 |
昭和34年 3月 | 下関市新町に病床数119床で新築移転 |
昭和42年 5月 | 中央棟を増設、病床数175床となる |
昭和48年 4月 | 中央棟を一部増築、病床数225床となる |
昭和52年 3月 | 外来棟を増築、既設棟を改築、病床数300床となる |
昭和55年 9月 | 地下1階を増築、病床数350床となる |
昭和59年 8月 | 周産期母子センター23床増床し、病床数373床となる |
平成12年 4月 | 居宅介護支援事業所を開設 |
平成15年 4月 | 臨床研修指定病院の許可 |
平成17年 4月 | 下関市安岡町に新病院を新築移転 |
平成19年 5月 | 日本医療機能評価機構認定を取得(Ver.5.0) |
平成21年 4月 | DPC対象病院へ移行 |
平成21年 6月 | 院外処方へ完全移行 |
平成22年 8月 | 新管理棟完成 |
平成23年11月 | 地域医療支援病院の承認 |
平成23年12月 | 災害拠点病院の指定 |
平成24年5月 | 日本医療機能評価機構認定を取得(Ver.6.0) |
平成27年4月 | 地域がん診療連携拠点病院の指定 |
平成29年5月 | 日本医療機能評価機構認定を取得(3rdG) |